

ひと月経つのが早い、と絵手紙カレンダーが届くたび思う。
アメリカは再びトランプ大統領になった。
私たち日本人への影響はいかに。
平和な日が続く国でありますように。
半世紀前の切手が使える国であり続けますように。

アメリカ大統領選の開票が進んでいるようだ。
民主党ハリスと共和党トランプの大接戦が伝えられる。
世界の行方を決める大選挙。
江戸時代後期の1854年(安政元年)11月5日、伊豆から四国にかけて最大震度6強と推定される地震(安政南海地震)が発生し、最高15mという津波が襲来しました。
このとき、和歌山県で歴代つづく醤油屋の当主であった、濱口梧陵(はまぐちごりょう)は、津波が来ることを村人に伝えたものの、逃げ遅れている人がいることに気づきました。
辺りはすでに暗くなっており、彼は避難先の目印になるようにと、刈り取った稲に火を灯して避難を誘導したと言われています。
この彼の偉業と精神、教訓を受け継いでいくため、彼が生まれた和歌山県広川町には[濱口梧陵記念館]と[津波防災教育センター]からなる「稲むらの火の館」があります。
防災新聞
本日、市の防災無線で、緊急信号の受信訓練があった。
新しい防災無線機がどのくらい市民に普及したか、市民に情報がきちんと届いたかどうか、検証をしなくてはならない。
10月27日に予定されていた避難訓練は、衆議院議員選挙の投票日となったために中止となった。
旭市としては、防災・津波避難訓練は必須なのだが。

「あしたのジョー」のちばてつや氏が叙勲されたと、ニュースで流れました。
ちばてつや氏と旭・飯岡はとても深いつながりがあることが、「ひねもすのたり日記」を読むとわかります。
「満州から引き揚げ」と「マンガとの出会い」は、まさに飯岡が舞台です。
ちばてつや少年が、祖母や親せきをたよって満州から引き揚げてから一年間の飯岡生活が、マンガの中で生き生きと描かれています。

皇居三の丸尚蔵館の展示を観に行った方の話しを聞きました。濤川惣助の作品は七宝焼なのに水墨画にしか見えなかったと、感激冷めやらず。
私も行って観たかったなぁ。
あとで濤川惣助の作品を紹介した動画もみせてもらって、あらためて旭の偉大な先人に思いを寄せたのでした。
濤川惣助は1847年(弘化4年)に下総国鶴巻村[2](現・千葉県旭市)で農家の次男として生まれた。その後に陶磁器等を扱う貿易商となったが、1877年(明治10年)に開催された第1回内国勧業博覧会を観覧して七宝の魅力に目覚め、直ぐに七宝家の道に転進した[3]。同年中に塚本貝助ら尾張七宝の職人達を擁する東京亀戸にあるドイツのアーレンス商会の七宝工場を買収し、2年後の1879年(明治12年)には革新的な技法となる無線七宝を発明した。
Wikipedia


明治42(1909)年に東宮御所として建設された 「赤坂離宮」 (現在の迎賓館)の【花鳥の間】に鳥と花を主題とした画家、渡辺省亭原画による楕円形の七宝額絵30点と大型の額絵2点(合計32点)を制作しました。