




今朝、カラーコンサルタントの押田博子さんの講話を聴きました。しなやかに生きるコツは、さまざまチャレンジを重ねていくことなんだ、と納得しきりでした。
なんと、押田さんが書かれた「家紋」の文章に出てくる「揚羽蝶」は、私の母方の家紋です。私のいなかでは、娘は母の家紋を継ぐことになっているので、私も黒留袖や無地、訪問着には「揚羽蝶」の家紋をつけています。偶然にも、「箪笥の肥やし」から母のこと、そして祖母のことを想ういい機会になりました。
蝶は、花から花へと優雅に舞う姿が昔から人々に愛されてきました。かつては、河原でひらひら飛ぶ姿から、「かわひらこ」とか「かわびらこ」と呼ばれたそうです。蝶の文様化は、中国から伝えられました。中国では蝶を「ぼう」と読み、八十歳を意味する言葉と発音が同じであることから長寿のシンボル、吉祥とされました。
押田博子 おしだひろこ
この考え方は、奈良時代に日本に伝えられました。平安時代になると、公家装束の有職文様として調度品等にも表れています。一匹の蝶が羽を広げた美しい姿を「臥蝶」や「浮線蝶」と呼び、貴族の着物や織物、金具の装飾として用いたのです。二羽の蝶が向かい合う「向い蝶」、三匹の「三つ蝶」、熨斗をを蝶の形にみたてた「熨斗蝶」等があります。鎌倉時代になると、華麗で凛々しい「揚羽蝶」が武家に好まれました。
蝶は卵から幼虫、さなぎに成長し、美しい蝶となり舞い上がります。その様から、不死不滅、立身出世、長寿の象徴や、縁起が良いものとされました。現在でも、蝶の成長は女性の人生と重ねられます。着物や帯の柄にも好まれ、振り袖や七五三のお祝い着にも蝶文様が よく見られます。娘の健やかな成長を願い、〈幸せに羽ばたいて欲しい〉という親の願いが込められているようです。
【押田博子 おしだひろこ】
︎千葉県茂原市生まれ。ICAA国際カラーコンサルタント。AFT準認定校 色彩スクール カラースタジオ・ワック代表。日本色彩学会会員。日本色彩研究所認定講師。

先週は暖かい日が続き、西風から東風に代ったのも束の間、再び寒波の到来。その冷たい雨にも負けずに咲く梅の花は、健気でありながら志の強さを感じさせます。
「梅」をこよなく愛した人物の一人に、平安時代の貴族・政治家の「菅原道真(すがわらのみちざね)」がいます。
ある日、菅原道真は藤原氏との政争に敗れ大宰府へ左遷されることになりました。道真が大切にしていた桜・梅・松の三本の庭木のうち、桜は主を失った悲しみで枯れてしまいます。松の木は道真を追いかけて飛び立ちましたが途中で力尽き、摂津国八部郡板宿近く(現在の兵庫県)に降り、根をおろしました(飛松伝説)。梅の木は一晩で道真の元まで飛び、大宰府に根を張りました。この言い伝えが「飛梅伝説」と呼ばれている伝説です。
実際に、道真の庭木の梅が大宰府まで飛んで行ったかどうかは定かではありませんが、道真が梅の木を大切にしていたことは確かなようで、庭の梅へ別れを惜しんで歌を詠んでいます。
“東風(こち)吹かば にほひをこせよ梅花 主なしとて春な忘れそ”
春が待ち遠しいですね。

3月11日が近づいてきました。
教訓を子どもたちに伝えていくことの大切さを、私たちは東日本大震災で学びました。
ということで、今年も「復興綱引き・龍王戦」を開催します。
家族みんなで参加!飯岡特産はまぐりに舌鼓‼
よろしくお願いします。