お盆に来なくてもいいでしょうに。
「令和4年度の食料自給力が過去最低」という見出しに、はじめて「食料自給力」という言葉を知りました。「食料自給率」との違いは、農地など国が持つ生産能力を考慮した指標になっている点だそうです。
「食料自給力」の正式な名称は「食料自給力指標」といって、海外に頼らずに国が持つ生産能力をフル活用し効率よく生産を行うことで、どの程度の食料が得られるかについてカロリーで表したものです。2015年3月に農林水産省が発表した「食料・農業・農村基本計画」で初めて指標化されています。
それまでは「食料自給率」を用いて日本の持つ生産能力を評価していましたが、再生することで利用可能な荒廃農地や、花き類など食用ではない作物の農地がカウントされないことから、食料の潜在的な生産能力を完全に把握することは難しいと考えられていました。
先進国の中でも特に食料自給率が低い日本では、さまざまな要因で起こる輸入食料の減少などが発生した場合に、国内だけで食料の供給を行っていく必要があります。そのため、平時から食料の潜在生産能力を把握することを目的に、農地など国が持つ生産能力を考慮した食料自給力指標が設定されました。
SMART AGURI
それにしても、”輸入停止などの不足時に国内でどれだけの食料を供給できるかという潜在生産能力”が過去最低だなんて。
農地と労働力の減少が響いているということですが、これを改善するためにはどのようにしたらいいのでしょうか。
上がるのは気温と物価だけなんて、これが我が国の悲しい現実。政治の力が今まさに求められています。
広島に続き、長崎へと原爆が投下されたのは、今日のような暑い暑い日だったに違いない。愛犬2匹とともに、孫の待つまちへと急ぐ車中で、「あの日」と同じ11:02の空を見上げた。
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊したという。
78年目の今日は、台風の接近で記念式典は場所を変えて、先例のない「被爆者の参列無し」という形で行われた。
夜になって、九州には線状降水帯が複数発生したと天気予報士が警戒を呼び掛けている。
どうか被害が出ませんように。
司馬遼太郎の名言
勇気と決断と行動力さえ持ち合わせておれば、あとのことは天に任せれば良い。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。
数多くの歴史小説を残し、今日8月7日に生誕100年を迎える司馬遼太郎。
明治の文明開化を遂げた日本が、日露戦争で大国ロシアを破る姿を描く司馬の『坂の上の雲』は、単なる歴史小説ではない。日本人の精神の記念碑だ。
〈まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている〉
書き出しには、明るい空気が流れる。明治の初め、温暖な気候の四国・松山で少年たちが何者かになろうとして学問を志す。やがて彼らは、俳句革新を成した正岡子規となり、日露戦争で騎兵を率いた秋山好古、日本海海戦を勝利に導いた真之の兄弟へと成長する。
同作が新聞連載を始めたのは、高度経済成長期の1968年。多くの人が何かを果たそうと夢を見ていた。第一部のあとがきで、作家は秋山兄弟について、〈かれらがいなければいないで、この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがいない〉と書いている。
誰でも自分の意思で人生を切り開けるようになった明治の時代。
読売新聞
誰でも自分の意志で人生を切り開けるようになった明治の時代に、何者かになろうとして学問を志した若者たち。文明開化を通して描かれた日本人の精神の記念碑は、多くの人が何かを果たそうと夢を見ていた時代に連載された。
文明開化は体験していないが、多くの人が何かを果たそうと夢を見ていた時代、つまり、高度経済成長期のことは記憶にある。生徒だったが、確かに周りの多くの人が夢に向かって目を輝かしていたのが肌で感じられた。世の中に、将来不安や悲観をにおわす空気もなかったような気がする。
今、日本の若者はどんな時代を生きているのだろう。