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活動報告一覧

龍燈鬼

このユーモラスで非常に変わった彫像は、13世紀に作られた悪鬼の像である。通常、こうした悪鬼は仏教の守護神の足に踏みつけられているものである。ここでは、悪鬼たちは仏教に帰依した者として表現され、仏陀のためにあたりを照らす燈明を持っている。

有名な仏師である運慶(1150~1223年)の息子、康弁が1215年に龍燈鬼(「龍と燈明を持つ悪鬼」)をつくった。天燈鬼(「燈明を頭の上に載せている悪鬼」)の作者は不明だが、間違いなく同じ時期につくられた。龍燈鬼の像の変わった特徴のひとつは、寄せ木以外に使われているその素材である。太いその眉毛は、銅板をカットしてつくられており、牙は水晶、そして龍の背中を取り巻くようにつけられているひれは動物の革でつくられている。どちらの像も、目には水晶がはめ込まれており、生き生きとした存在感を醸し出している。この2体の像はもともとは興福寺の西金堂に収められていた。

観光庁

「はれ予報」10月号の「僕宝仏像の旅」で、「龍燈鬼」という鬼の仏像が描かれていた。

目の大きさが全く違うが、なんだか今度我が国の総理大臣になる人に似ている。

この鬼は、仏陀のためにあたりを照らす燈明を持っている。

今度総理大臣になる人には、国民のためにあたりを照らす燈明を持ってほしい。

五度目の正直

自民新総裁に石破茂氏、10月1日首相選出へ 決選投票で高市氏破る

「人口減に歯止めをかける」と力説
美人ぞろい❣
髙野果樹園さんの、マスカットノワール、クイーンニーナ、そしてシャインマスカット

今日の農業新聞には、「果物を日本人の日常食に」といった内容のコラムが。

「輸出を増やせ」なんて言っている場合じゃないぞ。

から始まって、

今月初めに香港で開催された国際果実展示会での資料から、日本の果実消費量が諸外国の1/3以下であることがわかって驚いた、と続く。

中央果実協会によると、消費者は「食べると太る」「値段が高い」と考え、店頭の果実に手を伸ばさない。誤解もあるが、特に若い世代ほど果実を食べていないのは深刻だ。

先の展示会場を歩いてみると日本産果実の人気は根強い。だが、そのおいしさを第一に堪能してもらうのは足元の消費者だ。旬の出回りを増やし、もっと果実を日常の食生活に溶け込ませる努力が必要だ。

日本農業新聞 今よみ:農業ジャーナリスト 山川優

旭は、いちごから始まり、メロン、スイカ、ブルーベリー、ナシ、シャインマスカットなどのブドウと、一年中果物が溢れるまち。

せっかくの環境を有難く享受することにしませんか。

「バスの来ないバス停」
後姿が亡くなった母にそっくり

グループホームへ「バスの来ないバス停」を寄贈しました

令和6年9月19日に、以下2施設に「バスの来ないバス停」を寄贈しました。    ・グループホーム白珠(豊橋市平川本町)    ・グループホームみその(豊川市金沢町)

バスの来ないバス停は、グループホーム入所者が強い帰宅願望で落ち着かなくなってしまった時に、バスが来るのを待ち、気持ちが落ち着くまで過ごすことができる場所として、さらに地域に住んでいる認知症の方が徘徊した際に早期に、安全に保護できる場所としての効果が期待されています。

本取組は令和4年度より、愛知県認知症グループホーム連絡協議会東三河ブロック、豊橋市内の基幹型地域包括支援センター、豊橋鉄道と共同で進めているプロジェクトです。

認知症にやさしいまちづくりのための取組の1つとして、今後も継続的に進めてまいります。

豊鉄バス株式会社 お知らせ: 2024/09/24 

「インバウンド市場セミナー」に参加した帰り道、運転中に「バスの来ないバス停」の話が耳に飛び込んできた。

はじめて知ったこの「バスの来ないバス停」という素晴らしい取り組み。

「やさしいうそ」というキャスターの言葉に、涙が出た。

蜻蛉
猛暑がやっと去った日の玄関先に

秋なのにトンボを見ないな、と思っていたら、いました。

朝、玄関先に一匹。

強風で羽を痛めたのか、飛べないで震えています。

夕焼、小焼の、あかとんぼ、負われて見たのは、いつの日か。

山の畑の、桑の実を、小籠に、つんだは、まぼろしか。

十五で、姐やは、嫁にゆき、お里の、たよりも、たえはてた。

夕やけ、小やけの、赤とんぼ。とまっているよ、竿の先。

赤とんぼ

小学校の時に習った唱歌を口ずさむと、今でも脳裏にあの頃と同じ情景が浮かんできます。郷愁でしょうか。

日本人は蜻蛉が好きですね。

水田で食害を起こす害虫を食べるため、古来より益虫として親しまれてきた。弥生時代の銅鐸にもトンボが描かれたものが多数存在している。トンボは前にしか進まず引くことを知らないという説や、雄略を刺したアブを飛来したトンボが咥えて飛び去ったという日本書紀の逸話から、日本では攻撃性が高く勇敢という「勝ち虫」のイメージが広まり、その性質にあやかろうと縁起物として武士に好まれた。特に戦国時代には兜や鎧、などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられた。前田利家は兜の前立に蜻蛉を用いていた。本多忠勝蜻蛉切とよばれる長さ2丈(約6m)におよぶという長槍を愛用した。その名の由来は蜻蛉が穂先に止まった途端に真っ二つに切れてしまったという逸話にちなんでいる。

Wikipedia
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