西日本では平年よりも大幅に早い梅雨入りとなりましたが、関東は、来週の週末以降になるそうです。
ここ旭の海の幸は、イセエビ、はまぐり、そして岩牡蠣へと。果物は、いちごからメロンへと、季節とともに変わっていきます。
ほぼ年間通して出荷できる野菜も多く、畜産も盛んなまち、旭。
海幸彦、山幸彦がこんなに頑張っているまちは、他にはそうそうありません。
篤志家によって提供された土地は、芸術家も支援しながら、避難所にもなる。
まさに、「市民のひろば」。
一面のクローバーの中に市民は集い、数限りない「幸せの四つ葉」を見つけることでしょう。
すなわち細事にあくせくして、大局を観るの眼なく、あまりに小悧巧な青年が殖えて来るように思われる。かくては胃が消化力を失うと等しく、生々の気力が衰亡する。社会はこの小悧巧な青年によって食傷病に罹らんとしている。青年たる者、すべからく眼を大所、高所に放ち、国家社会の大任を負わねばならない。
青淵6月号『渋沢栄一訓言集』より
「すべからく眼を大所、高所にはなち、国家社会の大任を負う」青年をどれだけたくさん育てられるか。それがこのまちの、この国の未来を左右する。
私たち世代にかかっている、大きな責任です。
「私は、教科書はデジタルじゃない方がいいと思います」。
老子の格言で、『授人以魚 不如授人以漁』という言葉があります。
「人に魚を与えると1日で食べてしまう。しかし人に釣りを教えれば生涯食べていく事が出来る」という意味の言葉です。
お腹を空かした人に魚を与える事は、空腹を満たすための一時的な手段。それでは、その人は空腹になる度に魚をもらい続けなければならないし、もらい続ける癖がついてしまう。
これに対し、釣りの道具を与えて魚の釣り方を教え、それを身に付けてもらえば、空腹になっても自らの力で魚を捕まえて食べられるようになります。
逆に、魚をもらい続ける癖がついた人が増えると、そのまち、その国の将来はとても危ういものになるでしょう。