はるか昔、牛が田んぼを鋤くのを見た記憶があります。今はトラクターがなくてはならないものですね、農家さんにとって。
でも、一番なくてはならないものはお母さんの力だと、旭に来てから再確認しています。
家のことから、子どものことから、年寄りの事から、孫のことから、ご飯の事から、田んぼの事から、畑の事から、付き合いの事から、勤労奉仕の休み無し。
これじゃ、後継者が減っていくわけだ。
さて、このお母さんの負担をどうやって減らしていくか、真剣に考えなくてはなりません。
明るい農家の未来のために、知恵の出しどころですね。
来年のカレンダー、第一号!
来年のカレンダーが出回るようになると、「らいねん」がグッと近づいてきたということですね。もう「らいねん」の事を言ってもきっと鬼は笑わないでしょう。
「来年の事を言えば鬼が笑う」
将来のことなど前もって知ることはできないのだから、あれこれ言っても仕方がない。予測できるはずのない未来のことを言うと、鬼でさえおかしくてせせら笑うという意味から。
コトバンク
太陽は海に沈んだ後も、薄明りとなって神々しく富士山を浮き立たせる。一日の中で一番美しい時間。明日もこの海に朝日が昇ることを疑いもなく眺める時間。
瀬戸内寂聴さんが亡くなった。
「家庭でも核家族化して年寄りがいなくなって、良い伝統が伝わらなくなった。子どもたちは、人間が老い、病み、死んでゆく過程を身近に見なくなったから、命について考えもしないし、死の避け難い運命を知ろうともしない」
1996年、作家中野孝次さんとの対談で
寂聴さんの講話が大好きだった母の命日が近い。
「好きな言葉は『情熱』。情熱がなければ生きていてもつまらない。その情熱を失わないまま死にたいのよ」
2013年、朝日新聞の取材で
「情熱」を失わないまま人生を全うした人、瀬戸内寂聴。その人生を浮き立たせるかのような今日の日没。
今朝は、上げ膳据え膳でした。
と言っても、この言葉は若い人にはわからないだろうなぁ。
「上げ膳据え膳」とは、すべて人にやってもらい、自分は何もしないことを表す言葉で、実家に帰ったときや旅館に宿泊したときなどに、食事の準備などの家事をすべてやってもらえるという意味。昔から、主婦にとって「上げ膳据え膳」がどんなに憧れだったかがわかる言葉ですね。
今、「Go Toトラベル」の再開が検討されているようです。
実家にも帰れなかった、旅行にも行けなかった2年余りの自粛生活に疲弊した国民と、落ち込んだ観光業のために、「上げ膳据え膳」の復活を切望しているのは、きっと私だけではないでしょう。
この山本有三集の最初の一編「波」には、飯岡あたりが描写されているということです。こんな天気の日にじっくり読んで、一昔前の飯岡の風情を楽しみたいものです。
寝ても覚めても旭。降っても止んでも旭。