日本三大花火大会のひとつ長岡花火まつりが3年ぶりに開催されることが決定しました。
第二次世界大戦で空襲を受けたまちの復興という祈願の開催から、長い歴史を経て、その長岡市民の誇り、宝である「慰霊・復興・平和を祈る長岡花火」の想いや物語を継承しなくてはならないという決意に、胸が熱くなりました。
長岡花火財団では、今年は何としても花火大会を開催したいと想いから、議論を進めてきた結果、長岡まつり大花火大会を開催する方針を決定しました。
長岡花火に関わる全ての人が心を一つにして、未来を担う子どもたちに長岡市民の誇り、宝である「慰霊・復興・平和を祈る長岡花火」の想いや物語をしっかりと伝えていくとことが大切であると感じています。
また、幾多の災害を乗り越えてきた長岡にはいつも「花火」がありました。戦災からの復興、大震災からの復興、そして今、コロナ禍からの復興の道を歩みだす時だと考えています。
さらには、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻により、多くの尊い命が奪われているという現実を目の当たりにし、世界に向け平和への想いを発信してきた「長岡花火」を今こそとの想いを強くしているところです。新型コロナウイルス感染症対策を万全にし、長岡市民の皆様をはじめ、ご来場いただくすべてのお客様のご協力を得て、安全・安心な花火大会の実施に向け、様々な準備を進めます。
長岡花火の想いを未来へつなぐため、今年の長岡まつり大花火大会を実施いたします。
長岡花火公式ホームページより抜粋
23日オープンのイオンタウン内にできた、「おひさまテラス」の内覧会で写真を撮ってきました。
指定管理者はイオンタウンで、管理料の9800万円/年を旭市が支払います。30年契約です。
老若男女、特に、子育て世帯がまわりの人たちと触れ合う場としての活用を期待して作られています。
太平洋戦争終戦後、千島列島東端の「占守島(しゅむしゅとう)」をソ連軍に侵攻された日本軍の戦いと、指揮を取った陸軍中将・樋口季一郎の“決断”を紹介した文章を読みました。「第二次世界大戦の終戦後にソ連が日本に攻めて来たこと」を、ぼんやりとは知っていましたが、私にとっては衝撃の文章です。
終戦後の戦い
8月15日、日本国民は敗戦を知った。翌16日、大本営は各方面軍に対し、戦闘行動の即時停止を命令。やむを得ない自衛のための戦闘行動以外、すべての戦闘行為が固く禁じられた。樋口も指揮下の全将兵に対して訓示を発した。終戦に関する師団命令は、17日の午後、第一線で交戦中の連隊にまで達し、これをもって現地軍は戦闘を中止した。日本側は、各方面軍に撤退命令を発し、自衛目的の戦闘行動についても「18日午後4時まで」と徹底した。しかし、樋口に安堵の気持ちはなかった。果たして、ソ連が本当に侵攻を止めるかどうかという危惧が頭を離れなかったのである。そして、樋口は「ソ連の行動如何によっては『自衛戦争』が必要になるだろう」との腹案を持つに至った。それは、ロシアの専門家として軍人人生の大半を送ってきた樋口が導き出した最後の結論であった。樋口の懸念は現実のものとなる。ソ連軍は銃を置かなかった。樺太での戦闘は継続され、それどころか、ソ連軍最高統帥部は千島、南樺太への進攻作戦を新たに発令した。
昭和史を長年取材するルポライター・早坂隆氏の著書『 満州とアッツの将軍 樋口季一郎 指揮官の決断 』(文春新書)から一部を抜粋
他人事ではない、ロシアのウクライナ侵攻。
縁辺革命も、春キャベツも大事だけれど、国の存続にかかわる一番大切なことを、私たちは知っておかなければなりません。
旭の名産、美味しい春キャベツの季節がやってきました。
春キャベツは柔らかくて、千切りが特に美味しいですね。
今朝は3時55分に満月だったそうです。そして、この「ピンクムーン」と呼ばれる4月の満月の「月の入」は5時20分。つまり、今朝は満月のすぐ後に夜が明けたのですね。「春眠暁を覚えず」とはよく言ったものです。確かに、「春の夜は短い上に、気候がよく寝心地がよいので、夜の明けたのも知らずに眠りこんで、なかなか目がさめない」。
見逃した春の満月を想像しながら、今夜は春キャベツをたくさんいただくとしますか。
驚きの結果です。上位を占めているのは、離島や山間部の小規模町村がほとんどです。そして、4分の3にあたる15市町村は、2014年に日本創成会議により、いわゆる「消滅可能性市町村」とされた自治体なのです。
ここに、ヒントが必ずあるはずです。
縁辺
1 物のまわり。物の周縁部。また、一国の周辺。
2縁故のある人・家。特に血縁・婚姻による親族関係。
「―の事なれば妻娘をも呼びて」〈露伴・風流魔〉
3 結婚すること。また、縁づかせること。
「娘の―の事に就きましても…御心配を願いましたそうで」〈漱石・吾輩は猫である〉