奇しくも新聞週間(毎年10月15日~22日)真っただ中。連日の五輪汚職報道には、明らかになっていることは氷山の一角で、多方面で組織的に脈々と行われてきた犯罪なのではないかと、記事の度に一国民としては怒りを持って読むわけです。
本紙「五輪汚職事件」を巡る一連のスクープが、今年度の新聞協会賞を受賞した。昨年の東京五輪を巡り、スポーツビジネスの闇を暴いた点が評価された。 幅広い関係者に取材を重ね、深く掘り下げて問題提起する手法は、新聞ならではだ。これからもこうした報道を続けていく。
読売新聞:社説
TVは家に置かない方針なので、新聞は私の大切な情報源。日本農業新聞、読売新聞、日本経済新聞、日本教育新聞等、愛読しています。
インターネット、SNS等、誰もが簡単にいろんな情報を発信できる時代だからこそ、事実を正確に伝え、考える材料を提供するという新聞ならではの使命が特に大切な時代だと思うのです。
目覚めると予報通りの雨空。
よちよち歩くようになった子犬たちに、おっぱいをあげている母犬には大盛りの、床でゴロゴロしている朝からのんきな父犬には、ふつう盛りのご飯をあげて。
草刈りの仕事ができないと空腹をしのげない2匹のヤギには、ほし草を小屋のかごに入れて。
スズキのこぶ締め、冬瓜の味噌汁、納豆、大豆とこぶの煮たもん。自分の朝食はガッツリ食べて。
そして、新聞を斜めに読んで、今日の本題の読書は、友人から借りた『世田谷・大平農園 けやきが見守る四〇〇年のくらし』。
半分ほど読んだところで、雨が上がり。耕しますか。
残り半分は寝る前にでも。
10月は「世界食料デー」月間。そして、昨日10月16日は「世界食料デー」でした。
1945年10月16日に国連食糧農業機関(FAO)が創設されたことを記念し、毎年10月16日は、世界の食料問題を考える日として、国連により1981年から「世界食料デー」として定められています。これは、飢餓に苦しむ人々、全ての人々に健康的な食事を確保する必要性について、世界的な意識喚起と行動を促す国連の記念日であり、世界の一人ひとりが協力し合い、世界に広がる栄養不良、飢餓、極度の貧困を解決していくことを目的としたものです。
世界中を回って書いた、辺見庸さんのルポ、『もの食う人々」を読んだときの衝撃が思い出されます。東南アジアのどこかの国のどこかのまちで、日本に輸出用のキャットフードをつくっていました。しかしその作業をやっている女工さんたちの日当では、このキャットフード一缶すら買えないのです。
禅寺の伝統がありながら、今の日本では計算上、国民一人が毎日茶わん一杯分の食料を廃棄する。
日本農業新聞:四季
かつて、「お茶碗に米粒を残すと目がつぶれる」と教えていた農耕民族は、一体どこに向かっているのでしょう。
ミレーの「落ち穂拾い」は、日本国内では知らない人の方が少ないのではないかと思われるほど有名な絵画です。
遥か昔、私の祖母の家にもこの絵画を刺繍したものが額に入っていたような記憶があります(もしかすると「晩鐘」だったかも)。いずれにせよ、農耕民族としては、なんだか心惹かれるところがあるのでしょう。
ところが、のどかな農民画といったイメージを持っていたのは大間違いだったことを、この年になって知りました。
零細農民には、地主の麦畑の収穫を手伝うと手間賃が支払われ、落ち穂を拾う権利が認められた。
同じくミレーの代表作、「種をまく人」。
キリストの教えを暗示していて、種は教え、まかれる土地は教えを聞く者の心を表すという。『広辞苑』の岩波書店がロゴにしたのは、農家出身の創業者が詩人ワーズワースの『低く暮らし、高く思う』を社の精神としたとの思いから。
日本農業新聞:四季
まだまだ知らない事だらけです。