
農業のまち旭に住むからにはと、勇気をふりしぼって表紙を開くと、「5.15」事件から序章が始まりました。
凄惨な事件ではありますが、この事件の背景には民衆の貧困と農村の荒廃、そして政党政治の腐敗がありました。
この5.15事件には海軍の青年将校に限らず、民間からも決起に深く関与した人たちがいました。それが本書の主人公である橘孝三郎をはじめとする農民の人々です。
権門上に傲れども 国を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思う心なし
功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう
広く愛唱された三上卓作詞の「青年日本の歌(昭和維新の歌)の一節です。権力者も財界も国のことを全く考えていない!それを正すためには事の成否など考えるべきではないという率直な怒りが伝わってきます。また、こうした農村の荒廃を背景に、農本主義という思想が興りました。工業重視の世相の中で農業が持つ隣人たちとの連携や伝統文化、地域社会を重んじる考えが、農本主義です。
日本を救う農本主義・はじめに
旭の農家さんは、今まさに来週あたりから始まる田植えの準備にいとまがありません。
序章を読んであと150ページ。水田にひとり餌をついばむ白鷺のように、ゆっくりかみしめながら読むとしましょう。

ほれぼれと見守るものを、いつも目前に見るがよい。幸これに如くものはない。「モロ手」は両手である。なぜ両手を打って悦ばないのか。讃嘆しないのか。考えると、讃えゆべき光景が、如何に吾々のために、沢山用意されていることか。もろ手を打つて、讃ゆべきものを持つことができれば、生活は輝く。【宗悦】
柳 宗悦(やなぎ むねよし)は、民藝運動の主唱者である、日本の美術評論家、宗教哲学者、思想家。名前はしばしば「そうえつ」と読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される。宗教哲学、近代美術に関心を寄せ白樺派にも参加。芸術を哲学的に探求、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動も始めた。著書に『手仕事の日本』(1948年)、『民藝四十年』(1958年)など。
Wikipedia
日々の生活に、もろ手を打って讃えるべきものをたくさん見つけよう。
旭、そして日本には、讃えるべきものがあふれている。

春の3Kといえば、強風、寒暖差、花粉が知られているようだ。
加えて2K。
北朝鮮、黄砂。
排除したいKばかり。

農業新聞には、農業が日本の礎であることを思い出させてくれる記事があふれていて、毎日感動をもって愛読しています。
ここは米どころ旭。
この旭でもまさに今、種まきが着々と行われているようです。「うちは日曜日にやっと終わりました」と逞しい青年の弾む声を聞くと、青々と波打つ水田を早くも想像したりするのです。
30代の青年からこの言葉が飛び出すとは驚いた。「苗半作」。苗の出来によって作柄の半分が決まるという意味がある。<略> (この言葉の主は、)労力不足や昨今の重油高騰で苗を買う農家も少なくない中、雑木林を借りて落ち葉を集め、3年かけて土から苗づくりを始めている。<略> 大地にしっかりと根を張る丈夫な苗ができれば、災害や病害虫にだって負けないだろう。成長を信じて待つ。それは子育て、人づくりにもつながる。<略> 今春、新たな一歩を踏み出した皆さん。焦らず、慌てず。共に育ちあいましょう。
日本農業新聞『四季』:2023.4.12より
「苗づくり」を脈々とやってきた歴史が日本にはあります。これを子ども達に伝えていくことが私たち大人の使命です。

立ち上がれよ 何度踏まれても
勝ち誇れたとえ負けたとしても
溜め込んだ涙を力に
咲き誇れる人であれ
「雑草」ベリーグッドマン