広島に続き、長崎へと原爆が投下されたのは、今日のような暑い暑い日だったに違いない。愛犬2匹とともに、孫の待つまちへと急ぐ車中で、「あの日」と同じ11:02の空を見上げた。
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊したという。
78年目の今日は、台風の接近で記念式典は場所を変えて、先例のない「被爆者の参列無し」という形で行われた。
夜になって、九州には線状降水帯が複数発生したと天気予報士が警戒を呼び掛けている。
どうか被害が出ませんように。

司馬遼太郎の名言
勇気と決断と行動力さえ持ち合わせておれば、あとのことは天に任せれば良い。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。

数多くの歴史小説を残し、今日8月7日に生誕100年を迎える司馬遼太郎。
明治の文明開化を遂げた日本が、日露戦争で大国ロシアを破る姿を描く司馬の『坂の上の雲』は、単なる歴史小説ではない。日本人の精神の記念碑だ。
〈まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている〉
書き出しには、明るい空気が流れる。明治の初め、温暖な気候の四国・松山で少年たちが何者かになろうとして学問を志す。やがて彼らは、俳句革新を成した正岡子規となり、日露戦争で騎兵を率いた秋山好古、日本海海戦を勝利に導いた真之の兄弟へと成長する。
同作が新聞連載を始めたのは、高度経済成長期の1968年。多くの人が何かを果たそうと夢を見ていた。第一部のあとがきで、作家は秋山兄弟について、〈かれらがいなければいないで、この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがいない〉と書いている。
誰でも自分の意思で人生を切り開けるようになった明治の時代。
読売新聞
誰でも自分の意志で人生を切り開けるようになった明治の時代に、何者かになろうとして学問を志した若者たち。文明開化を通して描かれた日本人の精神の記念碑は、多くの人が何かを果たそうと夢を見ていた時代に連載された。
文明開化は体験していないが、多くの人が何かを果たそうと夢を見ていた時代、つまり、高度経済成長期のことは記憶にある。生徒だったが、確かに周りの多くの人が夢に向かって目を輝かしていたのが肌で感じられた。世の中に、将来不安や悲観をにおわす空気もなかったような気がする。
今、日本の若者はどんな時代を生きているのだろう。

今年に入って1月25日には、アメリカの科学雑誌が「人類最後の日」までの残り時間を象徴的に示す「終末時計」について、これまでで最も短い「残り1分30秒」と発表し、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻などを受けて、世界は前例のない危険な状態にあると警告しました。
「終末時計」の発表は、1947年の「残り7分」から始まり、東西冷戦の終結後には「残り17分」まで戻されましたが、去年まで3年連続で「残り1分40秒」と最も短くなっていました。
今年は、これよりさらに短くなり「人類最後の日」までこれまでで最も近づいたとしています。
理由については、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を一番にあげ、ロシアが核兵器の使用を示唆したことで、事故や誤算によって紛争が拡大するリスクがあり、紛争が誰の手にも負えなくなる可能性もあると指摘しています。
78回目の原爆の日の今日、記念式典とともに、新たに5320人が追加され総計33万9227人が記帳された原爆死没者名簿が、原爆慰霊碑の石室に奉納されたそうです。
そして一方では、ウクライナとロシアの戦いのニュースが流れる原爆の日。
私たち人類は、生まれた瞬間から己の終末に向かっています。これを運命と呼ぶなら、誰一人としてこの運命から逃れられる者はいません。しかし、人類の運命は違います。叡知さえあれば繋いでいけるはず。そのために産まれてきているのですから。
運命の残り時間、1分30秒。果たして、繋ぐのか、終わりにするのか。人類はどちらを選ぼうとしているのでしょうか。

これはいい!!
旭市議会にも出前演奏してもらえないでしょうか。
市内の演奏家の方々にお願いするという手もありますね。