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活動報告一覧

日本の行方
7年前に訪れた松下村塾

吉田 松陰(よしだ しょういん、文政13年8月4日〈1830年9月20日〉- 安政6年10月27日〈1859年11月21日〉)は、江戸時代後期の日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者・理論者。「松下村塾」で明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた。

Wikipedia

松陰の命日に流れるニュースは、北朝鮮が人工衛星だと主張するものの打ち上げ通告に、またまた岸田首相が抗議声明文を読み上げただとか、岸田内閣の政務官がすでに3人も更迭されているのに、4人目はセクハラで週刊誌沙汰になって国会で追及される模様だとか、そんなのばかり。

地球上の小さなこの島国では、相次ぐ閣僚更迭で、国の政治は「小説(しょうせつ)よりも奇なり」。小雪(しょうせつ)から、先も見えないほどの吹雪へと向かっているようです。

2022.11.22の戸村ひとみブログより

去年の今頃も全く同じ状況だったんだ。こうやって日本の一年は巡って、どんどん落ちて行ってしまうのか。

日本の行方がさぞかし心配に違いない、松下村塾長も。

「世界子どもの日」に思うことⅡ

11月20日の「世界子どもの日」は、1954年、世界の子どもたちの相互理解と福祉の向上を目的として、国連によって制定されました。

毎年の11月20日には、子どもの権利の認識向上と子どもの福祉の向上を目的として、世界中で子どもたちが主体となって参加する催しが行われています。子どもに関わるすべての人が、子どもの権利条約にうたわれている権利の実現に向けて取り組むことはもちろん、子どもたち自身が、自分たちの持つ権利について知り、学び、声を上げていくことがとても大切です。

1959年11月20日には国連総会で「子どもの権利宣言」が採択され、その30年後の1989年の11月20日、すべての子どもに人権を保障する初めての国際条約『子どもの権利条約』が、国連総会で採択されました。この条約が生まれたことにより、世界中で子どもの保護への取り組みが進み、これまでに多くの成果が生まれました。

日本ユニセフ協会

養老孟司さん曰く、「子どもの財産は漠然とした未来」。

しかし、大人は文明を進めても進めても、争い、殺し合い、子どもの財産を奪う。みんな子どもだったのに。

今日の地球上を見れば、「子どもの権利条約」が虚しい響きを持つ。生きる権利さえない子どもたちのなんと多いことか。

子どもの権利を奪うのは、かつての子ども。

「世界子どもの日」に思うことⅠ
夏の想い出「おままごと」

11月20日は「世界子どもの日」だそうです。昨日の子どもたちの意見発表に感激さめやらずで迎えた今日、養老孟司さんのエッセイが心に沁みます。

子どもの財産は「漠然とした未来」

私が言いたかったのは何かというと、エンデ(※ミハエル・エンデ、小説家。著書に『ネバーエンディング・ストーリー』、『モモ』など。ここでは『モモ』が作中で闘った時間泥棒の話)の言う通りで、すべてがこうやって予定の中に組み込まれていったときに、誰が割を食うかということです。

それはもう間違いなく子どもです。なぜなら、子どもというのは生まれた瞬間は、何にも持ってません。知識もない、経験もない、お金もない、力もない、体力もない。何にもない。

それじゃ、子どもが持っている財産というのは何か。一切何も決まってない未来です。漠然とした未来です。それがよくなるか悪くなるか、それもわかりません。

わかりませんが、ともかく彼らが持っているのは、何も決まっていないという、そのことです。その間はたぶん生きていくだろうと、そういうことです。

そうすると、すべてをこうやって予定していくと、子どもの最大の財産は当然のことながら減っていきます。そして、私どもの社会では、たぶん皆さん方もかなりそうじゃないかと思いますが、特に働いておられる方はそうだと思いますが、先行きのことを決めなければ一切動かないというくせがついています。

「負うた子」たち
青少年意見発表大会

旭市内の小学6年生と中学3年生、高校生、青年の部と、計13名の意見発表が行われました。

それぞれの発表の中に「生き方」が表れていて、ひたすら感動。

立派です。

私たち大人の方がもっとしっかりしないと、子ども達の健全育成もおぼつかないですね。まさに「負うた子に教えられ浅瀬を渡る」でした。

今日の夕焼け

自然と感謝の念が湧いてくる。
今日もここに生かしてもらっている。