
昭和24年の今日、『きけわだつみの声』が出版されたと、NHKラジオの「今日は何の日」で紹介があった。
1947年(昭和22年)に東京大学協同組合出版部により編集されて出版された東京大学戦没学徒兵の手記集『はるかなる山河に』に続いて、1949年(昭和24年)10月20日に出版された。 新聞やラジオ放送を通じて募集したもので、全国の大学、高等専門学校出身の戦没学生75人の遺稿が収められた。BC級戦犯として死刑に処された学徒兵の遺書も掲載されている。編集顧問の主任は医師、そして戦没学徒の遺族である中村克郎をはじめ、あとの編集委員として渡辺一夫・真下信一・小田切秀雄・桜井恒次が関わった。
1963年(昭和38年)に続編として『戦没学生の遺書にみる15年戦争』が光文社から出版され、1966年(昭和41年)に『第2集 きけ わだつみのこえ』に改題された。
『きけ わだつみのこえ』の刊行をきっかけとして1950年(昭和25年)4月22日に日本戦没学生記念会(わだつみ会)が結成された。
Wikipedia
東京・九段北の靖国神社で開かれていた秋季例大祭が19日昨夜、終了した。17日からの期間中、自民党の高市早苗総裁は参拝を見送った。これまでは保守層を意識し、閣僚在任中も終戦の日や春秋の例大祭に参拝していた。首相指名選挙で自身の首相選出が確実な情勢となっており、中韓両国の反発など外交への影響を考慮したとみられる。石破茂首相や閣僚も参拝しなかった。
初日の17日に高市氏は玉串料を私費で納め、首相は「真榊」と呼ばれる供物を奉納した。自民の有村治子総務会長らが参拝したほか、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーが一斉参拝した。

日本では、江戸中期には既に飾られていたようである。この頃の人形は折り紙のように折って作られるもので、より人間に近い形をしており、これを半分に切ったり、逆さに吊るしたりして祈願した。19世紀はじめの『嬉遊笑覧』には、晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供え、川に流すと記されている。『日本国語大辞典』によると、江戸時代の文献では「てり雛・てり法師・てりてり坊主・てるてる・てるてる法師・てるてる坊主・てれてれ法師」など、さまざまに呼ばれていた。
Wikipedia
江戸中期から飾られていた。
今も昔も、どうしても晴れてほしい日があるものなんだなぁ。
保育園をやっている時は、毎年の運動会の前に園児さんたちに、「おうちでてるてる坊主をつくってね」とお願いしていたものだ。とても懐かしい。

一心同体
表裏一体
絶体絶命
身体髪膚

薔薇。
私の中では、檸檬とともに、書けない漢字ナンバーワンを競う。
薔薇の漢字は書けないけれど、明後日の発表会では、Barba.raというグループで5曲ほど歌う。「ばーば」と呼ばれる女性たち「ばーば、ら」。
人生の荒波、幾多の苦難を乗り越え、何枚もの花びらを水輪のように重ねてきた「ばーば達」。
「ばらといふ字はどうしても覚えられない」けれど、気持ちはいつも「百万本の薔薇」。わっかるかなぁ⁈
曙橋「魚亭かみや」で、女子大の同じクラスで仲良し6人組同窓会。6年ぶりだが、みんな元気で何より。20歳あたりの女子会よろしく、なかなか賑やかだが、話題は「自分の健康」と「親の介護」と、年相応。
物凄ーく久しぶりに、松茸の土瓶蒸しなるものに舌鼓。やっぱり、和食はいいわ。世界中の人たちが夢中になるのも頷ける。






