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活動報告

「忘れないことが最大の備え」

両親の遺体の間で動かぬ男児 巡査が見た阪神大震災 初めて証言阪神大震災発生時の兵庫県西宮署刑事1課での経験を語る兵庫県警美方署副署長の大石一宏さん=新温泉町の兵庫県警美方署で2026年1月14日、浜本年弘撮影

 兵庫県警美方署副署長の大石一宏さん(57)=警視=は、阪神大震災の時、西宮署刑事1課強行犯担当の巡査だった。経験を話す依頼は断ってきたが、現場を知る警察官が減っていくことが気がかりだった。災害に対する心構えに役立てばと、署員約40人を前に初めて当時を語った。

 発災時、尼崎市内の警察官宿舎にいた。「ドカーンという爆音と、衝撃で跳び起きた」。夏に出産を控えた身重の妻と3歳の長女は無事だったが、室内の家具類はすべて倒れた。駐車場の区画から大きくずれた車に、妻子は一時避難した。「大変なことが起きている」と署に向かった。

 署はJR西宮駅の北側。バイクで幹線道路の国道171号を西へ進むと、前方で40歳ぐらいの男性が腕を広げていた。その先の見慣れた道路陸橋がなくなっていた。下の阪急電車の線路に崩れ落ちていた。

ようやく着いた署では家屋からの救出班が組まれ、担当地区も決まった。後に西宮市内の全半壊の家屋は全約16万世帯(当時)の4割に当たる約6万世帯と判明する。死者は1146人、負傷者は約6400人にのぼった。

 スコップを手に署を出ると、助けを求める叫び声で先に進めない。「子どもがまだ家の中にいる」。「母が柱に挟まれ動けない」。一帯の木造家屋は軒並み倒壊していた。住民と一緒に車のジャッキで重い柱を持ち上げる。「余震もあったが、昼も夜も無我夢中だった」。翌日も担当地区にたどり着けないまま活動した。

 3日目、本来受け持つ遺体の検視を始めた。上司と班を組み、避難所と遺体安置所が設けられた市立中央体育館に行った。刃物などによる傷の有無を一人一人、慎重に確かめる。安置所となった各地の学校の体育館にも行った。2人の遺体の間で動かない幼い男の子がいた。声を掛けると「お父さんとお母さん」と言った。

 携わったのは130人。「圧死が圧倒的に多く、小さな子どもの時は言葉にならないほど胸が痛んだ」。娘が脳裏に浮かび、妻子に会えないつらさが幾度となくこみ上げた。

 連絡を取ろうと、公衆電話前の長蛇の列に並んだ。1時間ほどして受話器を握る。かけても回線がいっぱいなのか、つながらない。西宮署内はロビーも大部屋の宿直室も被災者でいっぱいだ。刑事部屋の床に敷いた段ボールが寝床になり、妻子に会えたのは約2カ月後になった。「身重の妻と小さい子どもを置いて署に向かう時、不安そうな2人の顔は今でも覚えている」。妻は警察官宿舎内での会話から夫の様子をかろうじて察したという。妻子にわびた。

 人前で話せなかったのは「心のどこかで思い出したくない、震災の記憶を遠ざけたい気持ちがあった」。だが、将来起こりうる次の災害への心構えを自らも顧みつつ、伝えた。「忘れないことが最大の備えになる。命を守る力になる」【浜本年弘】

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