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活動報告

なぜ「旭」なのか
飯岡海岸で遊ぶ子どもたち

私が旭と出会うよりはるか前から、夫はこの旭、飯岡の恩恵を受けてきました。サーフィンです。30年ほど前から飯岡の波に魅せられて、週末波住民でした。波住民から市民に変わったきっかけは、10年前の津波被害でした。様変わりした飯岡のために少しでも何かできないか。私たちの決断は、旭市民になることでした。

浦安では40年間保育園を運営しました。昭和55年開園当初から、英語教育、スイミング、そして、合気道、ピアノレッスン、マーチング,キッズクッキング、知育教育等、独自の幼児教育を実践しましたが、中でも一番力を入れたのが、食育です。私たちの食を育む自然には全てのものに命があり、その命の恵みを自らの糧とすることに感謝しながら頂く。「食」は生きること。どのように生きていくかを教えるのが食育です。因みに、私の口癖は「お残しはいけません」でした。私は今、この食の宝庫「旭」と出会えたことに感謝しながら、日々の糧を頂いております。

また、浦安では14年間市議会議員として働きました。10年前に東北を視察した折、一つ峠を越えるとまた10メートルの盛り土工事中の平野が視界に広がる、そんな被災したリアス式海岸の町々も視察しました。海に囲まれた火山国。自然災害のデパート日本。しかし、海からの恩恵も、山からの恩恵も享受しなければ成り立たない国、日本。旭はまさに、日本の縮図。私たちは、そのことを、常に念頭に置きながら、復興を目指さなくてはならないのです。

今私は、保育園経営40年、市議会議員14年の実績をすべて旭のまちづくりに活かしたいと心から思っています。素晴らしい景色やおいしいものを求め、訪れる。山海の自然に囲まれて暮らす。人のぬくもりと自然の恩恵の中で子育てをする。都会の喧騒を離れて終の棲家として移り住む。旭はそうした「夢と希望」が描けるまちだと私は思います。

明日7月11日は、旭市長選挙の公示日。

私は、一週間の選挙戦を全力で戦い抜くつもりです。

「夢と希望を照らすまち旭」の実現に向けて。