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活動報告一覧

続・学校給食とフードロス 卒業祝う赤飯2100食廃棄

子どもの教育の現場にいる人たちは、常にその責任を感じながら仕事をするべきです。

「ぼーっと生きてんじゃねえよ」と怒るキャラクターがいますが、まさにそう言いたい「赤飯2100食廃棄事件」。

私は、「お米一粒でも残すと目がつぶれる」といわれて育ちました。2100食のお赤飯は一体何粒の米粒で成り立つのでしょう。

「3月11日」は誰の胸にも特別な日として刻まれていたはず、特に教育現場では、と思っていたのは私だけでしょうか。

献立を考える人、それに合わせて食材を注文する人、作る人。複数の人たちが「3月11日」が何の日だったのか覚えていなかったのでしょうか。自分のまちで470人もの犠牲者が出た日だということを忘れていたのでしょうか。この赤飯廃棄事件が教育現場で起こったことに衝撃を受けています。

福島県いわき市の市立中学校で11日、卒業生の祝いに赤飯の給食を用意したところ、今年で15年となる東日本大震災の発生日と重なったため、当日になって取りやめたことが関係者の取材でわかった。調理済みの約2100食の赤飯は廃棄。生徒たちには急きょ、学校で備蓄した非常用の缶詰パンを代わりに提供した。

これまで卒業生最後のご飯の給食に赤飯を出してきたが、今年は11日に重なった。13日が卒業式だった。市内では津波などで約470人が亡くなった。

市教育委員会によると、赤飯を準備したのは市内に7カ所ある学校給食共同調理場のうち1カ所で、配食先は五つの中学校。11日午前、「震災のあった日に赤飯はおかしい」と学校に電話があり、報告をうけた市教委が判断した。各校の1カ月分の献立は、毎前月末までに決めて保護者に送っている。

 市教委の担当者は「毎日すべての献立を事前に把握するのは困難で、報告で気づいた。賛否いろいろな意見がある問題とわかっていたが、甚大な被害があり、市が追悼式を行う日でもあったので総合的に判断した。卒業生には申し訳ない」と話している。

 その後、学校や市教委には、「祝い事の中止を強制するのはおかしい」「追悼の日に赤飯はないだろう」といった賛否両方の意見が数件ずつ寄せられたという。(西堀岳路)

朝日新聞デジタル

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学校給食とフードロス
健康体操後の、規格外野菜をふんだんに使った食事は毎回ほぼ完食

本日は文教福祉委員会があり、学校給食の食材費に約2000万円の増額補正が組まれていることに対して質疑しました。

答弁では、物価高騰により、当初予算で見込んでいた食材費では3月分が足りなくなった、ということでした。

さらに答弁により明らかになったことは、給食の食材費は一か月3000万円かかるということ、その内子どもたちが食べ残す残渣は16,3%にものぼること。一か月に約500万円分、一年で5000万円以上の食材を廃棄しているということになります。しかも、廃棄処理は、水分を取り除くために乾燥機で乾燥させ、焼却炉に入れるのです。ダブル、トリプルで経費をかけて、農業のまち旭、食のまち旭の学校給食は行われているのです。

値上げの主なものは、お米と野菜ということで、規格外野菜の活用など検討しないのかと質疑したところ、「規格外野菜は安全性に問題がある」との答弁。フードロス対策に、日本国中、否、世界中が取り組んでいる中で、この規格外野菜への間違った認識と、食育への取り組みが疎かであることを指摘しました。

このまちの人々の多くは、「いのち」をいただくことを生業にし、生計をたて、子どもたちを育てながら暮らしています。「いのち」をいただくことがいかに尊くて有難いことかを子どもたちに教えていくことが、このまちの文化を継承していくことにつながります。つまり、子どもたちの食育が文化伝承の要であることを、私たちは決して忘れてはならないのです。

 

ヒーローにもらった勇気、6歳娘が変身して14年 
本当のヒーロー

東日本大震災で被災した特撮好きな女の子がヒーローに勇気をもらい、震災翌年、6歳で自らもヒーローとなった。娘だけでは心配と父もメンバーの一員になり、母はマネジャーとして支えた。

宮城県多賀城市を拠点に、被災地で活動を続ける父娘のご当地ヒーロー「タガレンジャー」。娘は社会人となった今も活動を続ける。震災から間もなく15年。今年の3月11日も、家族そろって追悼行事に参加する。

朝日新聞デジタル

今も実名は明かさないという。

本当のヒーローは、いったいどれだけの子どもたちを救い、癒し、そして夢と希望を与えてきたか、計り知れない。

3.11の卒業式

孫の通う鎌倉市の公立中学校の卒業式が、本日3.11に行われた。

校長先生のあいさつは、東日本大震災の話しから始まったという。

修学旅行は陸前高田に行ったそうだ。

聡明な校長先生の、「子どもたちの将来のため」の教育に胸が熱くなる。

「希望の道」
復興ソング 希望の道

東日本大震災から15年が経った。

あの日と同じ今朝の寒さが、あの日の記憶を鮮明に呼び起こす。

昨夜は友人たちと、あの日それぞれがそれぞれに物凄い体験をしていたことを語り合った。皆、15年経っても鮮明に思い出せるほどのものだった。

それでも私たちは生きている。

いまだに2519人が行方不明という過酷な現実を受け止め、前を向いて歩いていかなくてはならない。

そして私たちは、「希望の道」を子どもたちに語り続けなければならない。

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