台風が気になっていつもより早く目覚めて、4時台のラジオから流れてきたのは、「原爆被害認定訴訟」に関わる医師の話し。
戦後79年も経ち、自らも90歳という高齢で、今なおこの訴訟に全力で取り組んでいる。
79年前、第二次世界大戦後の東京裁判判事のラーダービノード・パール博士(インド)は、アメリカが犯した原爆投下という戦争犯罪について以下のように断罪している。
「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊と言うものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の指令、および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで充分である。」
田中正明氏『パール判事の日本無罪論』より
「一体あの場合、アメリカは原子爆弾を投下すべき何の理由があったであろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができていた。広島に原子爆弾が投下される二ヶ月前から、ソビエト通じて降伏の交渉を進める用意をしていたのである。当時日本は、連合国との戦いにおいて敗北したという事は明白にわかっていた。彼らはそのことを充分知っていたにもかかわらず、実に悲惨なる破壊力を持つところの原爆を、あえて投下したのである。しかもこれは一種の実験としてでである。
我々はそこに、いろいろな事情を汲み取ることができない。しかしながら、これを投下したところの国から、いまだかって真実味のある懺悔の言葉を聞いたことがない。これからの世界の平和を語る上において、そのような冷酷な態度が許されていいものだろうか。
この原爆投下について、これまでアメリカは色々と弁明しているが、その説明あるいは口実はどのようなものであったか。我々はこれを充分考えてみる必要がある。原爆を投下するという事は、男女の別なく戦闘員と非戦闘員の別なく、無差別に人を殺すということである。しかも、最も残虐なる形においての大量殺人である。瞬間的な殺人であるばかりでなく、放射能による後遺症は、徐々に人体を蝕み、戦争が終わってから後も、多数の市民が、次から次へと倒れ、あるいは、悪性な遺伝子に悩まされている。生きながら、地獄の苦痛にあえいでいる善良なる市民が、今日なお春にあふれているのである。
しかしながら、彼らの原爆投下の説明、あるいは口実は何であるか。『もしもこれを投下しなかったならば、幾千人かの白人の兵隊が犠牲にならなければならなかったろう・・・』。これがその説明である。我々はこの説明を聞いて、満足することができるであろうか。一体、幾千人の軍人の生命を救う代償として、罪のない老人や子供や婦人を、あるいは一般の平和的生活を営む市民を、幾万人十万人も殺して良いと言うのだろうか。その家や財産とともに、市街の全部を灰にしてもいいというのだろうか。このような空空らしい説明や口実がなされたということ、それ自体、この説明で満足する人々が、彼らの中に多数いることを証明するものである。こんな説明で満足しているような人々によって、人道主義だとか、平和だとかいうような言葉がもてあそばれていることを、我々は深く悲しむものである。我々はこうした手合いと、二度とふたたび人道や平和について語りたくはない」
「こんな説明で満足しているような人々によって、人道主義だとか、平和だとかいうような言葉がもてあそばれていることを、我々は深く悲しむものである。」
私たちはこのことを全力で語り継がなくてはならない。