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活動報告

「世界子どもの日」に思うことⅠ
夏の想い出「おままごと」

11月20日は「世界子どもの日」だそうです。昨日の子どもたちの意見発表に感激さめやらずで迎えた今日、養老孟司さんのエッセイが心に沁みます。

子どもの財産は「漠然とした未来」

私が言いたかったのは何かというと、エンデ(※ミハエル・エンデ、小説家。著書に『ネバーエンディング・ストーリー』、『モモ』など。ここでは『モモ』が作中で闘った時間泥棒の話)の言う通りで、すべてがこうやって予定の中に組み込まれていったときに、誰が割を食うかということです。

それはもう間違いなく子どもです。なぜなら、子どもというのは生まれた瞬間は、何にも持ってません。知識もない、経験もない、お金もない、力もない、体力もない。何にもない。

それじゃ、子どもが持っている財産というのは何か。一切何も決まってない未来です。漠然とした未来です。それがよくなるか悪くなるか、それもわかりません。

わかりませんが、ともかく彼らが持っているのは、何も決まっていないという、そのことです。その間はたぶん生きていくだろうと、そういうことです。

そうすると、すべてをこうやって予定していくと、子どもの最大の財産は当然のことながら減っていきます。そして、私どもの社会では、たぶん皆さん方もかなりそうじゃないかと思いますが、特に働いておられる方はそうだと思いますが、先行きのことを決めなければ一切動かないというくせがついています。