「子ども」という存在
子どもたちが待ちに待った夏休みが始まった。と同時に、さてこの長い休みの間子どもたちをどうしよう、と考えている親御さんも多い。
今朝の読売新聞・編集手帳には、懐かしの「カギっ子(鍵っ子)」という言葉が載っていた。懐かしの、というのは、私自身が正真正銘の鍵っ子だったので、この言葉とともに、胸にひも付き鍵をぶら下げていたおかっぱ頭が浮かんだから。
「カギっ子」という言葉は高度成長期の1960年代、夫婦共働き家庭や核家族が増える中で生まれた。「カギっ子」の登場から日本の家族の形が変わってきたんだなぁ、なんて考えていたら、衝撃のニュース。
「子どもを殺した」水戸市で母親から通報 男児死亡、女児は心肺停止
24日午前6時半ごろ、水戸市平須町のアパートに住む女性から「子どもを殺した」と110番通報があった。警察官が住宅に駆けつけたところ、室内に男児と女児が倒れていた。茨城県警水戸署によると、女性は2人の母親。
子どもっていったい何?
みんなが求めているのに、こんなにも軽い存在の子どもたち。
みんなかつては子どもだった。
そしてみんな親になり曽祖父になり、これから生まれる名も知らぬ子ども達のために祈り、働く。子どもだったことを忘れながら。
でも忘れちゃいけない。「私たちみんなかつては子どもだったのよ」。