
雨の中も、せっせとひな鳥に餌を運ぶ親鳥。我が家の軒下の子ツバメたちは、6羽もいるというのに、こんなに丸々と成長している。餌を見つけるのにどれだけ身を粉にして飛び回っているのだろう。
今日は父の日。新聞のコラムに、目頭が熱くなった。
近所の駅なかの天井にツバメの巣がある。顔をのぞかせたヒナの周りを親鳥が飛び回っているのを見て、与謝野蕪村の句を思い出した。<細き身を子に寄添る燕かな>◆戦時下の南洋の島で、海を越え子に会いたいと翼を広げる夢を見たことがあったかもしれない。宮城県出身の佐藤富五郎さん(享年39)は、マーシャル諸島に出征し、食料が届かず餓死した。現地で日記をつづっていた◆幼子4人を残して赴いた先は飢えとの戦いだった。<昨夜ハ写真ヲ見タ 夢デ子供、妻ニ出ヒ思シテ(思い出して)泣カサレタ>。ネズミを食べ、命をつなぐ父を支えたのは家族の記憶だったに違いない◆1945年4月に亡くなる直前、遺書と題する言葉を妻に宛てて書き残している。<力 落スナ 僕ノ分マデ子供ヲ可愛ガツテ 四人ノ子供ヲ育テテ呉レ 僕ハ最後マデ頑張ッタ>。日記は戦後、戦友を介して家族に届けられた。長男の勉さんは本紙の取材に「父の言葉を支えに生きてきた」と話している◆イスラエルとイランが交戦状態に入った。広がる戦火に市民の命は脅かされている。翼がいくらあっても足りない。
読売新聞 編集手帳:2025.6.15
父が亡くなって15年になろうとしているが、父の遺言書のことはよく覚えている。見慣れた流暢な筆使いで、父の生きざまよろしく、なるべく質素に荼毘に付してくれと書かれていた。
若い頃から大病を患い続けた人生だったけど、最期まで弱音を吐かない人だった。<最後マデ頑張ッタ>、お父さん。
今日が誕生日で、軍事パレードを強行しているアメリカの大統領も、お父さんだろう。
イランやイスラエルで戦争をはじめた人も、お父さんだろう。もちろん、今前線で戦っている人もみんな、子どもをおもうお父さんにちがいない。
「父の言葉」で、子どもたちに平和を語ってほしいと、心から祈りを捧げたい。