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活動報告

大原幽学に学ぶ
大原幽学記念館エントランスに座す像

幽学は、先祖株組合の創設のほかに、農業技術の指導、耕地整理質素倹約の奨励、博打の禁止、また子供教育しつけのために換え子制度の奨励など、農民生活のあらゆる面を指導した。「改心楼」という教導所も建設された。嘉永元年(1848年)2月に、長部村の領主清水氏は、長部村の復興を賞賛し、領内の村々の模範とすべきことを触れている。嘉永5年(1852年)、反感を持つ勢力が改心楼へ乱入したことをきっかけに村を越えた農民の行き来を怪しまれ、勘定奉行に取り調べられる。安政4年(1857年)に押込め百日と改心楼の棄却、先祖株組合の解散を言い渡される。5年に及ぶ訴訟の疲労と性学を学んだはずの村の荒廃を嘆き、翌年、墓地で切腹した。

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旭の偉人、大原幽学。

米騒動で浮き彫りになった日本の農業政策の脆弱さや、子どもの虐待をはじめ、青少年から高齢者まで親子肉親が殺し合うような社会の荒廃は、大原幽学が生きた時代となんら変わっていないようだ。

技術は進歩しても、所詮人間。性分は大して変化がない。技術革新はいったい何のためにやるのか分かっていないから、社会は良くならない。全てに一本通った芯がないから、進歩しない。

せっかく先人の素晴らしい教えがあるのだから、今その教えを紐解く絶好の時ではないだろうか。