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活動報告

「終戦後の戦い」

太平洋戦争終戦後、千島列島東端の「占守島(しゅむしゅとう)」をソ連軍に侵攻された日本軍の戦いと、指揮を取った陸軍中将・樋口季一郎の“決断”を紹介した文章を読みました。「第二次世界大戦の終戦後にソ連が日本に攻めて来たこと」を、ぼんやりとは知っていましたが、私にとっては衝撃の文章です。

終戦後の戦い

 8月15日、日本国民は敗戦を知った。翌16日、大本営は各方面軍に対し、戦闘行動の即時停止を命令。やむを得ない自衛のための戦闘行動以外、すべての戦闘行為が固く禁じられた。樋口も指揮下の全将兵に対して訓示を発した。終戦に関する師団命令は、17日の午後、第一線で交戦中の連隊にまで達し、これをもって現地軍は戦闘を中止した。日本側は、各方面軍に撤退命令を発し、自衛目的の戦闘行動についても「18日午後4時まで」と徹底した。しかし、樋口に安堵の気持ちはなかった。果たして、ソ連が本当に侵攻を止めるかどうかという危惧が頭を離れなかったのである。そして、樋口は「ソ連の行動如何によっては『自衛戦争』が必要になるだろう」との腹案を持つに至った。それは、ロシアの専門家として軍人人生の大半を送ってきた樋口が導き出した最後の結論であった。樋口の懸念は現実のものとなる。ソ連軍は銃を置かなかった。樺太での戦闘は継続され、それどころか、ソ連軍最高統帥部は千島、南樺太への進攻作戦を新たに発令した。

昭和史を長年取材するルポライター・早坂隆氏の著書『 満州とアッツの将軍 樋口季一郎 指揮官の決断 』(文春新書)から一部を抜粋

他人事ではない、ロシアのウクライナ侵攻。

縁辺革命も、春キャベツも大事だけれど、国の存続にかかわる一番大切なことを、私たちは知っておかなければなりません。